2017.07.19
〜Fabが可能にする「その人のためのデザイン」〜
倉澤奈津子(くらさわ・なつこ)
6年前に骨肉腫で右腕を肩から切断。以来、左手生活の甲斐あってかクリエイティビティが爆発。がん患者で作った「患者会上肢の会」を2014年にNPO法人Mission ARM Japanとして設立。コミュニティ活動を軸に、自らの欲しい肩をつくるために肩パッドプロジェクト「LIN-K(リンク)」をプロデュースする。
NPO法人Mission ARM Japan http://www.mission-arm.jp/
竹腰美夏(たけこし・みなつ)
1992年 北海道札幌市生まれ。2014-15年FabCafeのFabスタッフを経て、2016年よりMission ARM Japanにて義手や装具のデザイン開発に従事。2017年HAPTIC DESIGN AWARD入選。Fabと人間の創造性・身体性の拡張に関心を持ち研究する傍ら、デジタル技術を用いた表現やデザイン活動も積極的に行う。首都大学東京大学院博士前期課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所 所員。
NPO法人Mission ARM Japan は上肢に障害を持った方同士の交流会や医療従事者やエンジニアが集うコミュニティ活動を行っている団体。この団体の特徴はデザイナーやエンジニアを巻き込んだ交流により「義手の選択肢を増やす」こと。自身も骨肉腫で右腕を肩から離断した理事の倉澤さん、昨年のHAPTIC DESIGN AWARDの入選者でもあるデザイナー竹腰さんのお二人に、身体的実感をともなう義手づくりに欠かせないボディイメージのデザインをどのように行っているかを語っていただきました。
7月19日HAPTIC DESIGN Meetup Vol.2の模様。この記事はイベントでのトークを中心に構成しています。
PHOTOGRAPH BY ZHANG QING
左から竹腰さんと倉澤さん。息の合った軽妙なトークが印象的でした
PHOTOGRAPH BY KOUTA MINAMIZAWA
(竹腰)本日はHapticとBody Designというテーマでイベントに参加させていただいていますが、私たちは「Haptic × Body ×Fab 〜Fabで身体性はアップデートされるのか〜」というサブテーマを設けました。まずは自己紹介をします。
(倉澤)NPO法人Mission ARM Japan (MAJ)の理事をしている倉澤奈津子と申します。6年前に骨肉腫で右肩を切断しました。本日は当事者としてお話をできたらと思っています。
(竹腰)竹腰美夏です。2016年よりMAJにて義手や装具のデザインや3Dプリンターを使って試作を行っています。今日は倉澤さんをはじめとした当事者の方からヒヤリングしたこと、実際に作ってみて気づいたことを中心に話します。MAJは、当初は上肢に障害を持つ方のコミュティーでした。「ほしいをつくる。つくるをつなぐ」というビジョンを掲げて、現在では、当事者だけでなくエンジニアやデザイナー、医療関係者が集まり実際にモノをつくりながら当事者と一緒に考えることで根本的な欲求や課題を見つけつながりを広げています。
Mission Arm Japanではさまざまな分野の人と人をつなげ当事者が抱える問題を解決している
(竹腰)今回良く使うキーワード「ボディイメージ」に関して紹介します。ボディイメージは人が身体に対して持つイメージのことで、幼児期の頃から生活していくことで自然と身についていきます。これをもとに今回重点的に話していきたいテーマが二つあります。「手のボディイメージや片手の人の身体性について」と「納得の身体を手に入れるために」ということです。一つ目の「手のボディイメージや片手の人の身体性について」は先天的、後天的に欠損を持つ人の事例を紹介して考察していきます。二つ目に「納得の身体を手に入れるために」ということですが、複雑な自分の欲求を他人にどうやって伝えてプロジェクトを進めていくか。作り手と使い手が横並びにものづくりをするスタイルについて話をしたいと思います。
筐体は軽くてシンプル。この義手があることで可能になるコミュニケーションを見据えてデザインされている
(竹腰)突然ですが、問題です。先天的に腕が短い場合、その人の手はどこにあると思いますか? その答えはこの写真から一目瞭然なのですが、カメラを支える手が義手の先ではなくて、義手の根本にあります。彼は今MAJの理事の今井さんという方なのですが、彼の手は肘より少し先にあります。それはどういうことかというと彼のボディイメージは腕の先端にあるということです。
人によってボディイメージは異なる
(竹腰)したがって一般的な手は長すぎるという感覚があります。例えるならば私たちがマジックハンドを持って生活をしている感じです。自分のありのままの手で作業をした方が直感的です。そこで今井さんは、自分の手の位置で作業可能な「短い義手」があったらよいのではないかと考えたことがありましたが、具体的にどのようなシーンで使いたいかどうも思いつかないようでした。彼の場合はサイクリングやカメラ、料理など趣味が多く、生まれつき腕が短い身体で生活してきたこともありなんでも器用にこなせるので、逆に困ってることを見つけるのが難しいのです。これはユーザーインタビューをする時に誰しもがぶちあたる壁なのではないかと思います。それを踏まえて手作業の観察を行いました。電動義手「HACKberry」を片手で組み立ててもらった時に、腕の先端でパーツを押さえてドライバーでネジをしめたり、ドライバーをおでこで押さえて締めたりといったことを器用にしていたのですが、細かい部品のネジ締めはやりにくそうだなと思って義手を設計してみました。小さなパーツを乗せるシャーレとパーツを固定するクリップを付けて、短い義手をCADで組み立ててプリントしました。
対象となる人の作業を観察し、プロトタイプを作成した
(竹腰)その後また会った機会に突然「作ったんですけどどうですか?」と感想を聞いてみたんですが、「いらない!」ってあっけなく言われてしまいました(笑)。大変そうに私には見えていたけど実際はとくに困っていないということだったんですね。ただ、この形が醤油皿やお皿に似ていると思ってもらえて、立食パーティ等でテーブルを使わず皿を手に持ちながら食事ができず困ったことがあるのを思い出したと教えてもらえました。機能の試作にはならなくとも、真の欲求を思い出してもらうための触媒のプロトタイプとしてファブリケーションは役立つのかなという気づきにつながりました。そのきっかけから実際に作ったのがImage Hand という義手です。この義手の先の上には、お皿を乗せることができます。
(竹腰)これは2016年のHaptic Design Awardの時の立食パーティの時の動画なんですが、こうやって短いおかげでバランスがとりやすいとのことでした。ちなみに、普段倉澤さんは立食パーティの時はどうやってるんですか?
(倉澤)私は立食パーティは基本的にはいやです。みなさんと一緒に立ちながら食事をするということはあまりできないので、みんなと話したいときは食事をしないという選択を取ります。もし食べたければ端っこで食べます。
(竹腰)みんなで楽しくする立食パーティのはずが取捨選択の話になってしまうんですね。ちょっとさみしい気がしてしまいます。今井さんの場合は、この義手を使えば大丈夫なので、次はぜひ倉澤さんの義手も考えてみたいですね。これらをまとめますと、先天的に肘から先が欠損している人の手先のボディイメージは肘の先にありますが、5本指がないぶんできる作業が限られてしまうことがあります。では、先天的に腕が短い人はどのような身体性を持つのかというと、身体のあらゆるパーツが作業を分担する技を持っています。例えば、おでこを使ってドライバーでおさえる、口やひざなどで手作業を分担するということを行っています。多くの人が両手10本指で行っていた事が片手になると出来なくなると思いがちですが、片手の身体ならではの能力を洗練させれば、異なるプロセスをとったとしても結果として同様に達成可能な事が多いということです。そんな片手の身体性を持つ人において「義手」とは何なのかというと、「手」というよりは「手作業」を分担をするための道具なのではないかと考察しています。義手には身体能力の拡張パーツとして様々な可能性があると考えています。いつかリアルな「手」を再現する義手や技術が開発されるかもしれないですが、それがどのように人間の身体として受け入れられるのかという点にも興味があります。
義手の存在を感じさせない肩から腕の自然なラインがデザインされている
(竹腰)後天的に手を失った場合ボディイメージはどうなるでしょうか。その答えを先にお知らせしますと、物理世界で腕がないにしてもイメージでは腕が残っているようです。生活する上でボディイメージはどのようになっているのでしょうか?
(倉澤)目をつぶると腕がなくなったという感覚はありません。けれども目を開けると物理的に手はない。つまり感覚としての腕は存在し続けています。
(竹腰)実際に生活することには慣れましたか?
(倉澤)私ははもともと右利きだったんですが、今年で左ききになって6年目。ちょうど小学生1年生に上がったくらいなんですが、ようやく生活に慣れてきたという感覚があります。
(竹腰)手作業自体は慣れてくるという感覚なのですが、手がある感覚がいまだに残ってる。それを幻視と言って、消失した身体パーツがまだ存在するかのように感じたり、人によっては痛みを伴うこともあるようです。
(倉澤)この図にあるように手を覆って三角巾で吊った状態ですね。常に肘が曲がっていてお腹のあたりに手がある感じです。実際に身体の表には出てなく、身体の中に腕が埋まっているような感覚です。身体と腕が一体化している、でも腕の存在感はあるという感覚です。
物理的なボディとボディイメージの一致感をどのように目指すかが課題
(竹腰)不思議ですね。
(倉澤)感覚だけだと存在感だけなんですが、それが常にしびれています。ちょうど正座をして足がしびれた時のピリピリ感が続いてる感じです。破かれる感覚だったり、指をありえない方向に折り曲げられる感覚だったり常に重さも感じています。ズシンと重い日もあったり、超人ハルクのようにものすごく隆々の腕になっているんじゃないかという感覚です。でも腕はないので、とても不思議な感覚です。
(竹腰)脳の誤作動による幻の感覚のようですね。ではそのような人々が物理的な人工の手、つまり義手を付けたらどうなるのかということがよく議論になるんですが、実際にそうゆう腕を付けて操作をしてみたり、眺めてみたりすることで幻肢痛の緩和につながる可能性があると言われています。一方で普通の手のように直感的に手を操作できるような義手がまだ開発されていないので倉澤さんは現時点では使用されていません。
(倉澤)そうですね。私は義手を使用していませんが肩は欲しかった。なぜなら肩がないと服がちゃんと着れないんですね。だからKATA Pad(肩装具)を作ってもらいました。
(竹腰)過去に肩装具を作ってもらった際に、自身のイメージと違って不安だったと聞きましたが、なぜ作り直してもらわなかったのでしょうか?
(倉澤)義肢装具士さんが手作業で作ってくださっていて、細かな手直しはしてもらえるんですが、おおまかな変更ができなくて、1個購入したら後5年間は2個目を保険で購入できないという保険制度があるんですね。5年経たないと作ってもらえないのであれば黙って我慢して使おうかな、もしくは使いたくないかなっていう複雑な気持ちがありました。
(竹腰)こういう話を聞いて、私は3Dスキャンと3Dプリンターを使えばすぐに肩装具を作れるし、修正も繰り返すことができるんじゃないかと提案したんです。その提案から、当事者自らがプロデュースして自分の欲しいものを一緒につくっていく肩装具づくりをスタートさせました。ひとつは、倉澤さんにとって納得のいく着こなしを追求するKATA Padの開発です。触覚でいうところの情感の部分だと思うんですが、自分の肩がこうであって欲しいとか、他者からこう見えて欲しいという姿を反映させた肩をつくりました。技術的な話をすると、左肩のスキャンデータを反転させて、無い方の身体形状を引き算してKATA Padの形状モデルデータを作成し、弾性のある質感を生み出すために柔らかい素材を使用してでプリントしたのがこのKATA Padです。肩のシルエットをもちろん再現しているんですが、それとは違って、人工ならではの美しさもあったりするなと思います。使い心地はいかがですか?
3Dプリントされた筐体も美しいが、何よりもこだわったのは服を着たときのシルエットの自然さや装着感
(倉澤)自分のデータを反転させているため、自分の肩なんだという認識ができています。重さや縛り付けといった部分は一緒に模索中で今はゴムバンド一本で工夫して留めています。
(竹腰)これまでいろいろと試作は繰り返してきました。重さは150gを切るような軽さなので取り付け方も変わってくるよねと話をして、納得のいく身体を追求しています。納得とはいえども、右利きだった倉澤さんの右手の代わりになるかというとそうではありません。では、後天的に片手になった場合その人の身体性はどうなっていくのかというと、片手の身体性、作業パターンはアップデートします。
(竹腰)それはどういうことかというと、倉澤さん、ここにある3つの蓋はどのように開けるのでしょうか?
ボディの欠損を補うため、作業パターンは更新される
(倉澤)ペットボトルに関しては足に挟んで開けることができます。最近は柔らかい素材のペットボトルが出てきたのでこぼれないように気を付けながらやっています。これで人に頼まなくても自分で好きな時に空けられて、力の入れ加減も上手になってきました。マスカラやマジックの蓋などはなかなか片手では開けにくいと思うのですが、以前は口を使って空けていました。ですが、マスカラやマジックですと中のモノが飛び出て汚れてしまう可能性があります。なので今は膝の内側であったり、足の親指と人差し指の間を使っていて、マスカラを出したら、足が出て来るという感じになっています(笑)。次に瓶ですが、これが厄介でした。瓶は先程のペットボトルと同じように膝の間で空けたりしていたのですが、やはり重かったり、失敗してケガをしたりしたので、床に置いて足で挟んで空けています。だいぶ上手になりました。
(竹腰)こうやって私たちが幼児の時に道具の使い方を覚えて習得していくかのように倉澤さんは手を失ってから身体で新しい作業パターンを習得してきました。これはある意味「手作業の身体拡張」と言えるのではないかと思います。まとめとしてグラフをご覧ください。
ボディイメージの形成と作業の習得、二つの側面から考える必要がある
(竹腰)生まれてから生活していくうちにボディイメージはどんどん形成され、それと同時に片手の身体性、手の技も同時に習得されていきます。倉澤さんのように途中で手を失った方は手の触覚に関しては幻肢痛として残ることが多く、また情感に関して最初はくずれおちてしまいますが、KATA Padなどのプロダクトを作ることでちょっとずつちょっとずつ納得に近づいていくことができます。また、手の身体性(能力)の取得に関しては、今片手6年目ということなのでラーメンをはしでつかめるようになったとか瓶は膝ではなくて足で開けたら良いとかいろんな方法を覚えていきます。やがては先天的に片手の今井さんが自然に獲得した能力と同様の能力を獲得するのではないかと思います。そういうことが身体性のアップデートではないのかと考えています。
最後にボディイメージは今後3つの発展の方向性があると予測しています。
※MetaLimbs http://embodiedmedia.org/project/metalimbs/
(倉澤)赤ちゃん特有の肌触りがすごく好きですね。ほっぺや腕のプニプニ感、二の腕のしわしわした感じもとてもかわいいと思います。あとは男性の少し伸びたもしゃっとしたヒゲにさわるのが好きですね(笑)。自分にはないものに触れることで指先に心地よさを感じたり、安心感を感じているのかもしれません。
(竹腰)手や足が痺れた時の感覚ですね。生まれてからずっとこの身体で生きてきてこの身体を手放すことは当然できないんですが、唯一痺れている時に身体を手放しているような感覚が味わえるからです。身体と道具の境界に興味があるんですが、自分の身体なのに道具っぽくなる感じがおもしろいと思います。痺れている時でも手を上げたり、何かを握ったり自分の意思で動かすことはできますが、自分の身体ではないような感覚がするのが不思議ですね。だんだん自分の感覚にもどってくる感じもおもしろいと思いますね。
TEXT BY KAZUYA YANAGIHARA