2016.12.08
〜新しい時代をつくる、“触覚のデザイン”とは〜
渡邊淳司(わたなべ・じゅんじ)
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 主任研究員(特別研究員)/東京工業大学工学院特任准教授兼任。博士(情報理工学)。人間の触覚の知覚メカニズム、感覚を表現する言葉の研究を行う。人間の知覚特性を利用したインタフェース技術を開発、展示公開するなかで、人間の感覚と環境との関係性を理論と応用の両面から研究している。近年は、学会活動だけでなく、出版活動や、科学館や芸術祭において数多くの展示を行う。主著に『情報を生み出す触覚の知性』(毎日出版文化賞(自然科学部門)受賞)がある。
渡邊淳司さんは、人の知覚の研究や知覚特性を利用したインタフェース開発を行う研究者でありながら、文化庁メディア芸術祭で優秀賞(2009年 アート部門)、Prix Ars Electronica で佳作(2011年インタラクティブアート部門)を受賞するほか、国内外の美術館・科学館で数多く展示を行ってきた。異色のキャリアを持つ彼は、知覚=「人がどうやって世界を認識するか」の研究をしていくなかで「HAPTIC」の有用性・可能性を感じるようになったという。
「HAPTIC DESIGN」プロジェクトのオーガナイザーのひとりであり、第一線で「伝える」ことを考え続けている渡邊さんだからこそ、語ることができるお話。物事の感じ方が深まる、デザインの捉え方が変わる、“はじめてのHAPTIC体験”の始まりです。
私は、大学院生の頃、VR(Virtual Reality)を研究する研究室に所属していました。もともと触覚の研究者ではなく、その頃は視覚の研究をしていました。博士課程の頃は「Saccade-based Display」という目を動かすと絵が見える視覚ディスプレイの研究をしていました。工事現場などで、警備員の人が点滅する棒を左右に高速に振ると、二次元の絵が現れるディスプレイってありますよね。あれの逆の原理で、点滅する棒が立ててあって目を左右に動かすと、二次元の絵が一瞬浮かび上がるというものです。両方とも、1次元の光を網膜上で動かすことで2次元の絵が見えるわけなんですが、目を動かした時は、絵が一瞬だけ現れてパッと消えるので、みんなすごく驚きます。
−Full-scale-Saccade-based Display(2007)
Hideyuki Ando, Junji Watanabe, Tomohiro Amemiya, Taro Maeda “Full- Scale Saccade-Based Display:
Public/Private Image Presentation Based on Gaze-Contingent Visual Illusion” SIGGRAPH 2007 Emerging Technologies proceedings.
この頃はまだ、HAPTIC(触覚)自体にはそれほど興味がなかったんですが(笑)、だんだん「人がどうやって世界を把握するか」というだけでなく、「どうやって意味づけるか」ということに興味を持つようになりました。
視覚と聴覚は遠感覚と言われていて、遠くにあるものを把握する際に「あそこに何かがありそうだ」「ここからどのくらい離れているか」「それはどんなものか」というように、空間解像度や時間解像度が高く、意識される情報をもたらします。それに対して触覚は、近感覚と呼ばれ、実際にそれが目の前にあるかどうかを確かめる感覚です。手で触れてそれがどんなものかというだけでなく、「それが本当にあるのか」「自分にとって、重要かどうか」、「快いものか、不快なものか」といった生存に根源的な処理、無意識的な処理においても、大きな役割を果たしているんです。
たとえば「(万年筆を持ちながら)これは赤い色をしていて、素材は木でツルツルしていて、何かを書く道具だ」ということは意識的に考えているわけですが、一方でこのペンが「ここにあるか、ないか」や「自分にとって気持ちよいかどうか」ということは、もっと無意識的な処理なんです。もし、目の前にクマが現れたら、人はそれがクマだと分かる前に逃げ出します。つまり、意識的にそれが何かを把握する前に、無意識で判断して身体は動いている、と。身近な例だと、持っているコップが手からすべり落ちそうになったとき、「あ、落ちそう」と気付く前に手が動いていますよね。特に触覚は、そういった無意識的な処理と関連した感覚なんですね。
知覚心理学をベースとして「人がどうやって世界を認識しているか」について研究し、それをどのようにコミュニケーションに応用するか、実体験できる形でプレゼンテーションしています。分野としては認知心理学、感性工学と言われる領域に近いです。ただ、一般的な感性工学が心の動きを数値化し、多くの人に届けるユニバーサルデザインを目指しているのに対し、自分の場合は、もっと個人の体験に根ざした“人間の側”から考えていきたいと思っています。なので、科学館や美術館での展示やワークショップという形でプレゼンテーションすることは、自分にとってとても重要な発表の形式です。
人に何かを「伝える」ということを考えたときに、それぞれの人に“自分ごと”として感じてもらうことが重要で、何かが「ある、いる」という感覚と強いつながりがある触覚に興味を持つようになりました。「HAPTIC DESIGN」では、その領域を「質感」「実感」「情感」と3つに分けて考えています。それぞれについて、『TOKYO DESIGN WEEK 2016』にも出展したものを中心にお話をします。
まず「質感」は、私たちにとってもっともなじみ深いもので、手で触れたときの物体の素材に関する感覚やそこから受ける感性的印象のことです。感覚は主観的なもので、正確な意味では、他人と感覚をやりとりすることはできません。色なども主観的なもので、それを他人とやりとりするために名前をつけて共有したり、色相環のようにその全体図となるようなものをつくったりしています。触感も、まずその全体図や関係性をわかるようにしたかったんです。
そこで、オノマトペを使った触覚の質感マップをつくりました。ちなみにこのマップは、一般的に日本語で多く使われる触覚のオノマトペを集めて分析していますが、もっと実用的な場面で使おうと思ったら、ある業界の中で使われている素材に特化して、その業界の言葉を集めてマップを作るのが有効です。例えば、建築業界で言えば木材や石材。素材を限定してマップを作ることで、かつては職人さんしか分からなかった質感に対する感覚を共有できたり、新しいテクスチャーの関係性を見つけることができたりするようになると思います。
−オノマトペの触り心地マップ
早川智彦,松井茂,渡邊淳司 日本バーチャルリアリティ学会論文誌, 15(3), 487-490, 2010.
−質感の科学の本の紹介
次に「実感」というのは「何かがある、自分や他人がいる」という感覚です。自分の心臓を手の上で感じるワークショップ「心臓ピクニック」を例に説明します。聴診器を胸にあてると、手の上の白い箱が振動し始めます。物理的には、あれはただの振動する箱なんですが、振動を発している心音の持ち主が目の前にいるということから、その人が生きている実感として意味を持つんです。だからこれを、初対面の人とやったりすると、おもしろいですよ。普段僕らは、名刺に記載された名前などの記号的なやりとりから始めて、お付き合いしていくうちに、その人の実体を感じていくわけですよね。「心臓ピクニック」は、その順序を逆転させて、普段なら“最後にもらうようなもの(実体)”をいきなりもらってドキドキしてしまう。
−心臓ピクニック
渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)、川口ゆい(ダンサー、振付家)、坂倉杏介(東京都市大学)、安藤英由樹(大阪大学)
最後に「情感」についてですが、触れた対象に人格を認め、それに対して何らかの感情を抱くことだと考えています。たとえば、ライブや演劇でも、演者の振る舞いや感情の動きを見ているだけで、共感することを通して、身体に訴えかけられている感じがありますよね。もしかしたら、エクストリームスポーツ※1で、人が通常行わないような行為を観ることで、日常では感じることのできない身体性を感じることも、その範疇に入るかもしれません。
なんだかんだ言ってもエロの話も避けられないと思います(笑)。恋人を抱きしめれば安らぎますし、別の感情も沸いてきます。また、超未来式体感型公衆電話といって、触覚だけでコミュニケーションをする電話を作ったこともあります。結局、広い意味での、人と人のコミュニケーションなんですが、他者の存在を想像したり、それをとおして「感情が動く」という話が、この「情感」にあたるといえます。
※1エクストリームスポーツ:過激な離れ技を見どころとした、アクション要素の強いスポーツ。興奮度が高く、ユースカルチャーとの関連性も深い。
−超未来式体感型公衆電話
プロダクトやゲームみたいな質感と製品化みたいな話がスタートで、コミュニケーションとか情感に関する体験があったりすると思うんですが、もっと言えば、モノや人だけじゃなくて、社会に対しても実感を持つために必要なものが、HAPTICだと思っています。
たとえば、「HAPTIC DESIGN」によって、選挙の投票率をあげられないかと思ったりします。今の投票所って、ゴミ箱のような箱にペラペラの投票用紙を入れるじゃないですか。あれはインターフェースとして最悪で、自分の意志がちゃんと反映されるのか、まったく実感がわかない。投票の仕組みにエージェンシー※2を感じないんです。投票したらスクリーンの張られた集計箱に向かって光が入っていくとか、どっかに飛んでいった感じになるとか、選挙ボックス自体をどうやったら「HAPTIC」としてよくできるか工夫が必要ですよね。これはUI・UXの分野でもありますけど、「HAPTIC DESIGN」というのは、そういう領域も含んでいるんです。
※2エージェンシー:自己主体感。自分が何かをしているという感覚。この場合、自分の投票行動が社会に影響を与えているという実感
触覚をデザインすること自体で考えると、バウハウス※とかもありましたし、昔に戻っているだけの気もします。ただ、昔はマテリアル=触感だったものが、今は「情報という何かを指し示すもの」に対しても、身体性を考えなきゃならなくなった。つまり、情報に対して触感や身体性をどう“体系化”するかだったり、記号や情報にアプローチをすることで“意味付け”してあげて、“個人の体験”に変えることだったり……その過程を創造することが、「HAPTIC DESIGN」なのではと考えています。
手順で考えれば、それはワークショップデザインですし、触感だけでなんとかしようとすればプロダクトやグラフィックの分野ですし、マルチモーダル・インタフェース※で言えば映像との関係性でもあるし、人を繋げる話で言えばソーシャルデザインかもしれない。「HAPTIC DESIGN」は領域で言えば本当に幅広いものなので、クリエイターさんそれぞれの立場でHAPTICを「新たな視点」と認識してもらえれば、現状では十分なんじゃないかと思います。
※バウハウス:もともと1919年ドイツに設立された建築・芸術学校。今ではその流れを汲んだ機能主義的なアートの総称として使われる。
※マルチモーダル・インターフェース:VRにおいて、視覚と聴覚を含めた複数のモード(触覚、嗅覚など)を持つインターフェイス。広義には、音声入力やタッチパネルも含まれる。
僕にとってはモネの絵ですかね。モネの絵をはじめて見たとき、近くで見るとよく意味が分からなくて、キャンバスの上のただの油絵の具のように感じたんです。でもちょっと離れて見た途端、急に絵の中にある種のリアルな世界が立ち現れたんです。自分との関係からそこに世界が実在として現れる体験ですね。さらにモネの絵がすばらしいのは、個人にとって意味性、存在性があれほど強いにも関わらず、多くの人がグッとくる作品だといういうこと。
モネのような作品を見ると、ずっと昔から「HAPTICとはこういうこと」というすばらしい事例があるので、逆に「僕らが今さら何かする必要はあるのかな?」って気分になります(笑)。でも世の中にはこういう天才が何人かいるから、そこに至る過程を意味づけしたり、道筋を付けられるのなら、自分のやっている事にも価値があるのかなと思います。
TEXT BY MASARU YOKOTA
PHOTOGRAPH BY RYOSUKE IWAMOTO